私のうつ病の元凶ともいえる思想。
どうして私はこんな親の元に産まれてきてしまったのだろう。
どうせ産まれてくるのなら、普通の体で普通の家に産まれてきたかった。
今さらこんなことを考えたって仕方がないし、考えれば考えるほど辛くなるだけだと、わかっていはいるのです。
わかってはいるのですが、テレビで仲良し家族とかを目にすると辛くなってしまい、人生を悲観せずにはいられなくなります。
心の中に溜まったドロドロとした感情を無性に吐き出したくなったので、今回は「どうして産まれてきてしまったんだろう」と思い悩み、気持ちが病んでしまう根幹ともいえる、両親の無益すぎる愛のない結婚生活について書きたいと思います。
- お見合いでなんとなく結婚したものの・・・
- 愛のない結婚生活は悲惨そのもの
- 妻は家政婦・子供は老後の面倒を看させるための駒
- 子供嫌いなら作るな!私だってこんな家に産まれたくなかった!
- 頑張っても耐えても相手が悪いと報われない
- 愛のない結婚を真に後悔するのは老後である
- 後悔のない人生を!
お見合いでなんとなく結婚したものの・・・
私の両親はお見合い結婚でした。お見合いのあと何度かデートらしきものをしただけで、早々に結婚を決めたそうです。
母は父が自己中心的で短気でズルくて怠け者で、頼りにならないダメな男だということを、結婚前からうすうす気づいていたそうです。
結婚前、新居となる家の庭の草むしりを皆で集まってやったとき、父だけは草むしりに参加せず、腕組みをして見ているだけだったとか。
またある時は一緒に観光地へ出かけた際に、混雑していることに腹を立て、いきなり怒り出して何の断りもなく引き返したそうです。もちろんそのあと、謝罪の言葉なんてものはありません。
その他にも、一緒に出掛けたときに母の具合が悪くなっても、心配するどころかマイペースで自分の見たい所へ行こうとし、母が体調の悪さから付いていけないと、途端に機嫌が悪くなったそうです。
結婚前の短いお付き合いの中でさえも、父の性格の悪さを表す、このようなエピソードは幾つもありました。
結婚前から相手の性格に気になる点が多々あったわけですから、この時点で結婚をやめておけばよかったのに、それでも母は父と結婚しました。
その理由は、単に『結婚』がしたかったからだそうです。
昔は今よりも結婚することが当たり前な時代で、母の周りでは20代半ばくらいまでには、ほとんどの人が結婚していたそうです。
だから自分も25歳くらいまでには結婚しないと、みっともないし世間体が悪いと体裁を気にして、好きでもない人との結婚を決めたのだとか。
加えて母には、中学までしか出ていないことや見た目に自信がないことによる劣等感があり、自分は結婚相手を選べる立場ではないと、感じていたようです。
けれどいざ結婚生活が始まってみると、ますます父の嫌なところが目につくようになります。一緒に買い物へ行きどれを買おうかと少し悩んでいただけで、「いつまで待たせるんだ!」と、突然怒り出すなんてことは日常茶飯事。
父のお給料が安いため母も仕事をしていたので、食事の支度が遅れたり、父の入る時間までにお風呂を洗っておけなかったりなど、家事が行き届かないこともありました。
食事の支度が遅れると機嫌が悪くなり、「もういい、外で食べてくる」と、生活費ギリギリの生活なのにも関わらず、父は外食に行っていたそうです。
自分の入る時間までにお風呂が洗っていないと、「お前は風呂掃除もまともにできんのか」と、母を怒鳴りつけたそうです。
このような自己中心的で思いやりのない言動が日常的にあったそうですが、それでも母は離婚することなく、それどころか子供まで作ってしまったのです。
愛のない結婚生活は悲惨そのもの
私が思春期になった頃だったでしょうか。
自分の置かれている状況にあまりにも嫌気がさして、「あんな男の子供を産むなんてバカじゃないの? あんな人と子供を作ったら子供が可愛そうだと思わなかったの?」と、ひどい言葉を母にぶつけてしまったことがあります。
こんなひどい言葉をぶつけた私に対して母は、「子供が産まれれば変わると思ったから……」と、力なく答えていました。そんな母の願いは虚しく崩れ去り、子供が産まれても父親の自己中ぶりは相変わらずでしたね。性根が腐っている人は、子供が産まれたって変わりゃしません。
子供って家の中で走り回って遊んだり、大きな声で笑ったり泣いたりしますよね。普通の親なら子供が元気よく遊んでいたら嬉しく感じるし、泣いていたら心配すると思います。
けれど父の場合は騒がしいのが嫌いなので、少しでも大きな声をだすと、癇癪をおこして子供に対しても容赦なくキレます。子供が大きな声を出すのは許せないくせに、自分はすぐにキレて大声を出すという理不尽さ。
普通の子供と同じようにただ遊んだり喋ったりしていただけなのに、よく怒鳴られたり叩かれたりしました。
その他にも呼ばれても気が付かなくて返事ができなかったり、自分が入りたい時にトイレやお風呂を使われていたりなど、少しでも父の気に障るようなことがあれば、怒鳴られたり叩かれたり、時には殴られたり蹴られたりもしました。
怒鳴られれば怖いし叩かれれば痛いので泣くと、「オマエはなんですぐに癇癪を起すんだ。もっと静かにできんのか」と、さらに怒られます。癇癪を起しているのは父親のほうなのに、泣いている子供にこんな理不尽な言葉を投げ付けてくる大人失格な人間が、結婚なんてしていいはずない。
弟が産まれてからもずっとこんな感じでしたが、父親は男尊女卑的な思想が強いので、怒鳴られるのも叩かれるのも、いつも私ばかりでした。
そして年齢が上がるにつれて、身の回りの物や学費などで子供により一層お金がかかるようになっても、父親はこれまでと同様、家にお金をあまり入れようとはしません。
相変わらず少ない給料を入れて大いばりで、母が「今後は子供にお金がかかるようになるからもう少し家にお金を入れてほしい」と頼んでも、「金・金いいやがって!」と、またもや癇癪を起します。
父親はすぐにイライラして癇癪を起すので、困ったことが起きても、母は何も相談できなかったようです。小さな子供とろくでなしの夫を抱えて、お金も時間も余裕がなくて、子育てが一段落するまで本当に辛かったと、かつて母は語っていましたっけ。
妻や子供のために頑張って働こうという気持ちが、父親には皆無でした。そもそも父は妻や子に対して何の愛情もないので、「俺が頑張って幸せにしなきゃ!」といった、夫や父親としての当たり前の感情を持ち合わせていません。
父親がこんな感じだったので、母親は家事だけでなく仕事も頑張っていました。フルタイムで働き、仕事帰りに買い物へ行って食事を作る。
朝は朝食の準備や洗濯やゴミ出しの他に、お弁当を作っていた時期もあったし、本当に大変だったと思います。寝る間をおしんで働いていました。
子供がいてもお洒落なお母さんもいますが、私の母は毎日時間に追われてクタクタだったので、お洒落などとは全く無縁で、それどころかゆっくりとお風呂につかることさえできない毎日。
それに比べて父親は、毎日定時で帰ってきてはゴロゴロしているだけ。時間があるのに家事を一切やることなく、少しでも気に入らないことがあれば怒って暴力をふるう、本当に最低な父親です。
妻は家政婦・子供は老後の面倒を看させるための駒
そもそも父親は1人でいるのが好きな人で、自分以外の人間なんて愛せません。自己愛の塊のような性格です。
それでも結婚をしたのは、家事をしてくれる家政婦と、老後の面倒を見させるための、子供という人材が必要だったから。
それに加えて、世間系を気にしてという意味もあったと思います。あの時代は特に、いつまでも独身だと、職場や親戚の集まりなどに行ったさいに肩身が狭いですから。
子供のころは父に怯えて何も言い返せませんでしたが、思春期の頃には父に言い返すこともあり、壮絶な親子喧嘩になったこともあります。
その喧嘩の最中に何で母と結婚したのかを尋ねたとき「ちょうどいい女だと思ったから」と答えていました。
母は家事が得意で働き者であまり自己主張せず我慢強い性格ですから、そんな母は父にとって、まさに「ちょうどいい人」だったのでしょう。
「〇〇なところが素敵だったから」とかではなく、「ちょうどいい女だと思ったから」
こんな言い方をされて雑な扱いを受けてまで、全く幸せではない結婚生活を送る必要があったのでしょうか。いくら時代が違ったとはいえ、ひどい扱いを受け、我慢に我慢んを重ねてまで、結婚ってしなきゃいけないものだったのでしょうか。
子供嫌いなら作るな!私だってこんな家に産まれたくなかった!
女は25歳くらいまでに、男は30歳くらいまでに、結婚するのが当たり前だった時代。年頃になっても結婚できない人がいると、周りがお節介を焼いてお見合いさせて、半ば強引にくっつける。
そんなお節介な時代が生んだ、世間体を取り繕うためだけの愛のない形だけの結婚。そしてそんな愛のない結婚によって、この世に誕生させられた私。欠陥だらけの遺伝子を背負わされて……。
髪が薄い・足が短い・永久歯が通常の半分しか生えない・てんかん・不眠症。 そのうえ父親による暴力。その結果うつ病に。これだけのものを背負って生きてくるのは、死にたくなるほど辛かったです。
欠陥遺伝子についての詳細はこちらに書きましたので、もし興味があればご覧ください。
欠陥だらけのこんな体でも、愛し合った上での結婚で、好きな人と温かな家庭を作りたいとの願いで誕生させられたのならば、こんな体でも産まれてきてよかったと、思えたのかもしれません。
ただ世間から一人前に見られたいがためと、老後の面倒を看させるための駒が必要で子供をつくったから、こんな事態になったんじゃないかとさえ思えます。
適当な気持ちで子供をもうけ、死なない程度に食事を与えるだけの子育てじゃ、負け組になるのもある意味当たり前だと思ってしまう私は、ひねくれているでしょうか。
学ぶことの大切さを教えることもない、だから塾に通わせることもない。成績が悪くても知らん顔。子供の学費に使うより自分に使いたい。そもそも両親とも中卒という頭の悪さなので、遺伝子的に考えて、子供のIQだっていいわけない。
その結果、娘は引きこもりのニート。息子はいちおう正社員で働いてはいるが、残業がなければ手取り20万円にも満たない、負け組サラリーマン。
親が底辺だと子供も底辺になりがちっていうセオリーがあるけど、まさにその通りすぎて、泣きながら狂ったように笑ったことがあったっけ。
頑張っても耐えても相手が悪いと報われない
それでも父は、母と結婚できて幸せだったことでしょう。
自分勝手に振る舞っても、母はほとんど言い返すことなく耐えて、私が頑張れば何とかなると、家事に育児に仕事にと、身を粉にして働いたのですから。
当然のことながら母は父のことが大嫌いで、子供のころから現在に至るまで、数えきれないほど父への不満や愚痴を聞かされてきました。
「その不満を私に言うんじゃなくてアイツにぶつければいいじゃん!」と言ったことは何度もあるのですが、「あの人に言ったって癇癪を起すだけで何も変わらない。怒鳴られて嫌な思いをするだけ損だ」と言って、母は父に言い返すことを完全に諦めていました。
それでも反論すべきことや自分の言い分など、言うべき事は言わなきゃいけなかったと、私は思っています。
優しく我慢強いのは母の長所でもあるけれど「事なかれ主義」みたいなとなところがあって、そのせいでよけいに父親を調子ずかせたように思います。
お洒落する時間も遊びに行く時間もなく、睡眠時間すら人並に取れない生活を送りながら懸命に働き、それでも私たちには笑顔で接してくれた優しい母。
どんなに頑張ろうが相手がクズだと幸せになれない。
ブラック企業でどんなに頑張っても報われないのと同じで、最低男にどんなに尽くしたところで報われやしない。最低限、人間としての温かさや知性を持った人とじゃなきゃ、結婚なんてしちゃいけない。
愛のない結婚を真に後悔するのは老後である
仮面夫婦の毒性が特に強くなるのは、なんといっても老後です。
定年後に一緒にいる時間が増えても、仲の良い夫婦ならその時間を楽しく過ごせます。けれど仲が悪ければ、一緒の時間は苦痛でしかありません。テレビを見るのも別々の部屋なので、無駄に電気代がかかります。
そして更に老いが進み介護が必要になったとしたら、嫌いな相手に介護したり・されたりするわけで、それってかなり苦痛ですよね。年を取ると病院へ行く機会も増えますが、仲の悪い夫婦だと、一緒に病院へ行くことすら苦行です。
数年前、父親が病気になり入院・手術をしたさい、母は付き添うのが嫌すぎて、1回目の入院のときは付き添いを拒否しました。拒否された父は自分の兄に付き添いを頼みましたが、そのことがあったあとお兄さんから母に電話があり、「弟のことをどうかお願いします」と、懸命にお願いされたそうです。
母はお兄さんの懸命のお願いを拒むことができず、入院中に病院へ行き洗濯物を持ち帰って洗い、新しい物を届けました。そして2回目の手術やそれにともなう検査、そのごの転院のさいには仕方なく付き添いました。
ずっと自分に辛くあたってきた人の面倒をみることの理不尽さや、会話が全くないことによる、息が詰まるような重苦しい雰囲気。嫌いな人と病院の待合室で隣り合わせで座ることへの嫌悪感。こんな状態ですから一緒にいるだけで気持ちが滅入り、病院へ付き添うことは、異様なまでの疲労感に襲われるのだとか。
「大嫌い」の感情がマックスに達すると、ただ一緒の空間にいるだけで気分が悪くなるのです。それでも夫婦でいる限りは相手に何かあれば、手を差し伸べなきゃいけない義務が生じる。惰性で結婚を続けると、そのつけは老後に回ってくるのです。
うちの場合は父親が家事能力ゼロなので、もし母親に介護が必要になっても、何もしないというか、できないでしょうけどね。挙句に相手の話を聞いて質問したり、今後どうすればいいのか判断したりもできないため、病院への付き添いすら役不足です。
愛のない結婚でもお金があればお金で解決できることも多いので、まだ救いがあるのですが、うちの場合はお金もないので、事態はさおさら悲惨です。もし父親に介護が必要になったとき、誰がやるのか……。
病院へ付き添うだけでも嫌なのに、介護だなんて、私も母も弟もまっぴらごめんです。
かといって施設に入れるとなればそれなりのお金が必要となるため、今はただただ介護が発生しないことを祈るのみですね。
お金はないけど「愛」はある。
愛はないけど「お金」はある。
離婚すべきかどうか迷ったとき、ここが判断基準になると私は思います。両方あるのが理想だけど、せめて愛かお金どちらかはないと、老後を乗り切るのは極めて困難といえるでしょう。
愛とお金、両方ないのは絶対にダメ。
両親を見ていると、このことを本当に痛感します。
誰と結婚するかによって、良くも悪くもその後の人生はガラリと変わる。たとえ貧しくとも、「この人と一緒になったことに後悔はない!」と、胸を張って言える相手と結婚するべきです。
惰性でなんとなくとか、もういい年だから誰でもいいと思ったとか、そんな理由での結婚は、絶対にするべきではありません。
独身は不安だし寂しいけれど、愛もお金もない結婚をするくらいなら、お一人様でいるほうがよほどマシだと私は思います。
後悔のない人生を!
もし今、不幸な結婚生活の中でドロドロとした感情がフツフツと煮えたぎっているようならば、我慢して結婚を続けることが最良の選択とはいえないような気がします。
インターネットの発達によりさまざまな情報を得られるようになり、今はこのような場所で、相談機関も探せる時代です。
不毛な結婚生活に耐えるだけでなく、離婚という選択肢を考えることで、明るい未来を掴めるかもしれません。初回の相談は無料のところが多いので、1度問い合わせてみる価値はあるかと思います。
私は相続問題のことで司法書士事務所へ相談に行ったことがあります。しっかりと話を聞いてくれて、こちらの質問にわかりやすく答えてくれたので、とても勉強になったし行ってよかったと思っています。
本来ならば無料相談は1時間となっていましたが、こちらからアレコレ質問したため話が長引き、結局2時間以上も私たちの相談に無料で付き合ってくれました。
相続問題にしても離婚問題にしても、自分ではどうにも解決できないと思ったら、専門家に頼る方法を検討してみてはいかがでしょうか。いつまでもモヤモヤした状態でいるなんて、時間がもったいないです。
我が家の場合は母親がとにかく我慢強いことと、父親が離婚に断固反対したため、離婚まではかないませんでした。ですが娘の立場から言わせてもらうと、母にはもっと勇気と行動力を持ってほしかったです。
あんな男とはさっさと離婚して、新たな人生を踏み出してほしかった。
母親は働き者だし気立てが良いので、もっとまともな相手とさえ結婚できていたら、人並みの幸せは手にできていたと思います。そして私は、この世に産まれてこなくて済んだことでしょう。
いくら中卒で顔がイマイチだからって、あそこまで欠陥だらけの男と結婚する必要なんてなかったのに。父と母の結婚は、結婚し子供を作ることをまるで義務のように誰もが行っていた、悪しき時代の産物です。
母のような不幸な結婚生活を送る女性が、この世から1人でも減ることを願って止みません。人生1度きり。結婚だけが全てじゃない。皆さまどうか後悔のない選択を。
それでは今日はこのへんで。コノハでした。