9月8日に投稿したこちらの記事。
この記事がサイドバーの『注目記事』に居座っているので、意外とこういうの需要あるのかもしれないな~と思い立ち、姉妹編を書いてみることにしました。
『続いた仕事ベスト4』の時に書いた仕事も「辞めなきゃよかった 何でもっと頑張れなかったのだろう」と後悔していますが、「辞めなきゃよかった」の気持ちが1番大きいのは、ホームセンターでの仕事です。
私はスーパーマーケットでも働いていたことがあり、スーパーでの仕事が思いのほか大変だったことを経験しているので、スーパーとホームセンターを比較しつつ、振り返っていきたいと思います。
どなたかの、バイトやパート選びの参考になれば幸いです。
スーパーのレジの応募を決める
20代後半に差し掛かった頃、当時も絶賛引きこもり中だった私は、求人雑誌でとあるスーパーの求人広告を発見します。新店がオープンするということで、『スタッフ大募集』の文字がデカデカと載っていました、
「やった~オープニングスタッフの募集だ! オープニングならみんな初心者だから丁寧に教えてもらえるはす!」と少し浮かれた気持ちで、求人内容を読み込んでいきました。
精肉や鮮魚や青果などの裏方の仕事の方が私の性格からすると向いているのですが、そういった仕事は包丁やスライサーなどを使います。私はてんかんを抱えている身なので、怪我や事故につながるような危険な物が身近にあるような環境下での仕事は、やらないよう医師から言われていました。
私自身としても、「もし包丁を持っている時に発作が起きたら・・・」と考えるとゾっとするので、安全面も考慮して仕事を選ばなければならないということは、肝に銘じていることです。
『続いた仕事ベスト4』に書いたアパレルショップのように、事務の仕事があればよかったのですが、残念ながらそこの募集に事務の仕事は載っていませんでした。
そうなると危険がなさそうでなおかつお客さんとあまり接しなくてもいい職種は『品出し』ということになるのですが、品出しだけの募集は朝の3時間だけしかなく、それ以外の時間はレジと品出しが兼任という形になっていました。
さすがに介護も子育てもしていない、いい年した若者が朝の3時間しか働かないのはどうかと思ったし、できれば社保に入りたいし有給もほしかったので、さんざん悩んだ末に、レジ業務での応募を決めました。
スーパーのレジ3週間で脱落
面接の時、簡単な計算問題と漢字のテストがありました。
問題自体は難しいものではなかったのですが、制限時間があり、時間内に全部終えることができませんでした。それでも採用の連絡がきて、働けることにはなりました。
ただ誤算だったのは、新店舗のお客さんがいない中でゆっくり教えてもらえると思っていたのが、間違いだったことです。
そこのスーパーはあちこちに店舗があり、新人研修は最寄りの店舗で行うということを、採用後の説明会の時に聞かされました。
私が研修を希望した店舗には私ともう1人だけしか研修の人がいなかったので、オープニングスタッフの募集といっても、実質普通にバイトやパートに入るのと変わりなかったです。
しかも私の研修を担当した見た目50代のベテランパートがものすごくスパルタな人で、キツイ言い方でダメ出しをしてくるタイプの人でした。
開店前のルーティン作業や品出しは、メモを取りながら覚えて私でもできるレベルの仕事でしたが、レジ業務は思っていた以上に苦戦しました。
商品の点数があまり多くない場合はいいのですが、カゴにてんこ盛りとか、中にはてんこ盛りのカゴ×2とか3の人もいて、それだけの点数をお客様をあまり待たせることなくさばくには、かなりのスピードが要求されます。
お客様を前にすると緊張してしまい「お待たせいたしました いらっしゃいませ」などのセリフがぎこちなくなってしまい、「笑顔がない 声が小さい」と何度も怒られました。
「いらっしゃいませ」の言い方でさんざん怒られて完全に委縮してしまい、商品をバーコードに通す手が震えたりおどおどしてしまって、思うようにはかどりません。
見かねた50代スパルタおばさんが、私をおしのけバーコードを通し始めます。
そしてお客様が切れた時、「なんでそんなに通すの遅いの? 商品のどこにバーコードがついてるかちゃんと把握しとかなきゃダメじゃない」と、キンキン声で連日のように怒られました。
それでも10日くらいした頃からバーコードを通すことには慣れてきて、少しずつスピードアップはできたのですが、今度は通した商品をカゴに入れる時の入れ方が悪いとダメ出しをくらいます。
パンとか柔らかいものは潰れないようによけておいて、あとから乗せるようにしていたのですが、それだけじゃスパルタおばさんには不十分だったようで、これは立てて入れなきゃダメとか、冷凍食品の隣に箱に入ったお菓子をおいたら水滴で箱がふにゃるからダメだとか、いろいろと細かい注意をうけました。
こっちは大量の商品をバーコードに通すだけでもいっぱいいっぱな上に、通した商品を上手く入れていかないとカゴに入りきらなくなるので、そんな細かい事まで気を回す余裕がありません。
カゴからはみ出すほどてんこ盛りのお客様が来た時、バーコードを通してカゴに入れる際、綺麗に入れることに拘り過ぎて、ひとつのカゴにおさまりきらなくなる時などもありました。そんな時は「申し訳ありませんがカゴを変えさせていただきます」と断りをいれて2つのカゴに分けたのですが、そのことに関しても後からだいぶ怒られました。
「お客様がひとつのカゴで来てるのにカゴを2つに分けたら迷惑でしょ! お客様がひとつのカゴに入れているのに何であなたは入れられないの?」とキツイ口調で質問されました。「なんでってアンタが綺麗に入れろって言うし、水滴がつかないように商品の並びを気を付けろとかいろいろ言ってくるから、それを実践したらひとつのカゴにおさまらなくなったんですけど・・・」と言ってやりたかったですが、小心者の私は言い返すことができません。
私にも言い分ってもんがありましたが、そういった声に耳を傾けてくれるようなタイプではないと感じていたので、委縮して何も言えなくなってしまい、しまいには怒られ過ぎて仕事中に涙を流してしまいました。
泣いたら泣いたで「今時の子は苦労せずに育ってるからちょっと怒られるとすぐ泣くのよね~」などと嫌味を言われてしまい、もうメンタルが持たないと判断して、辞める決断をしたのです。
辞める時もひと悶着あったのですが、長くなるのでそこは省力しときます。
働き始めて3週間でのギブアップでした。
ホームセンターのレジは楽だった!
スーパーで怒られまくった私は、メンタルがだいぶやられたものの、レジの操作自体は思っていたよりも難しくなかったことで、スーパーじゃなくて雑貨店やホームセンターなどのレジならできそうだな~と感じていました。
雑貨店やホームセンターとかなら、1人のお客さんがカゴいっぱいに商品を買う事はないだろうと思ったからです。
たくさん商品を買われると急がなきゃいけないと焦るし、バーコードを通してカゴに入れる時、上手く入れていかないと全部入りきらなくなります。それに柔らかくて潰れそうな物はよけといて後から入れるとか、水滴がつきそうな物は箱物の隣におかないとか、お豆腐や輪ゴムで止めてあるだけのお惣菜はビニール袋に入れるとか、何かと気を遣わねばなりません。
そういった気遣いが要らないレジ業務なら、出来そうな気がしていました。
そんな気持ちになっていた時に、ちょっと遠いけど行ったことがあるホームセンターで求人募集が出ていたので、応募してみました。
そこの面接は筆記試験がなく、面接の時に大した事を聞かれるでもなく、面接が終わった数時間後には、採用の連絡がきました。
出勤初日、どんな人が指導係につくのかドキドキしていましたが、気さくでユーモアがある楽しい方が指導係についてくれたので、あまり気負わず研修を受けることができました。
2日間研修ということで、仕事の流れや店内の物の配置、レジの操作方法などなど、とてもわかりやすく説明してくれました。
スーパーでレジ業務にはある程度慣れていたので、「覚えが早いね もう1人でやっても大丈夫だね」などと言ってもらい、スーパーの時とは雲泥の差で、仕事へ行くモチベーションが上がっていました。
スーパーのレジで散々な目に遭った私からすると、ホームセンターのレジは楽でしたね~。ホームセンターのお客さんは1度にたくさん買っていく人はほとんどいないので、バーコードを通す時も慌てなくて済みます。
ただホームセンターには電化製品が置いてあるため、電化製品を買った人には保証書を発行しなければならなくて、それを忘れないようにしなければと、少し神経は使いました。
あとホームセンターには仕事がらみで買い物に来る人が多く、領収書を書く頻度がわりと多かったです。レジから簡易的な領収書は発行できるのですが、手書きのが欲しいという人が多くて、そこはちょっと面倒くさかったかな。
他には、たまに外人さんが来て意味不明な質問をされることとかあったけど、なんとか対応可能なレベルで、こんな私でもそれなりにやっていけていました。
指導係のお姉さん以外にも親切な人が多かったし、「順調なスタートを切れてよかったな~」と思っていたのですが、勤め始めて1ヶ月ほどした時、状況が一変しました。
サービスカウンターに配置換え
勤め始めてすっかりレジと品出しに慣れたころ、副店長から「サービスカウンターを担当してもらいたい」と、話を持ち掛けられました。
サービスカウンターは副店長のテリトリーで、そこの仕事は奴が完全にしきっていました。そこのホームセンター、店長は温和で感じの良い人だったのですが、副店長は嫌味で自己主張が激しい性格なので、なかなかの嫌われ者でした。
私が入ってしばらくした頃サービスカウンターを担当していた1人が辞めたので、その後任として、私が選ばれてしまったのです。
小心者の私は「嫌です」とは言えず、サービスカウンターの担当を承諾してしまいました。けれどこれをきっかけとして、順調に回っていた歯車が狂い始めるのです。
サービスカウンターの業務は、覚えることがたくさんありました。
返品作業や配送の手配やクレーム処理やギフト用の包み方などに加えて、合鍵の制作や靴の修理の受付もしていたので、そっち関係の仕事も覚えなくてはなりません。レジよりも明らかに覚える情報量は多かったです。
そんな中、副店長は教えていない事を教えたと言い張ったり、教えられた通りにやっているのに「何でそんなやり方するの? そんなふうに教えた覚えはない」とか言い出したりして、かなり嫌な感じでした。
私は教わったことはすぐにメモを取るので、教えてもらっていないかどうか、どのように教わったかの証拠は残っています。それをやんわり伝えて「それはいいがかりですよ~ あなたの言ってることおかしいですよ~」てきな雰囲気をだしてみたりもしたのですが、ぜんぜん無理でした。自分の間違いを認めるような人じゃないんです。
その日機嫌が悪ければ、重箱の隅をつつくかのごとく、注意するまでもないようなどうでもいい事で説教が始まります。それを真に受けて丁寧に仕事をすれば、また別の日には「そこまで神経質にやってたら効率悪くなるじゃない」とか言い出す始末。
サービスカウンターの人が次々に辞めていっているという情報をその頃にはキャッチしていたので、自分が犠牲者になっているという思いが、が日に日に強くなっていきました。それと同時に副店長のことがどんどん嫌いになっていき、顔を見るのも嫌になっていきます。
そんな副店長のことが大嫌いになっていたある日、副店長から言われたある事がきっかけで、我慢していた心がポキっと折れてしまい、私は辞める決心をしました。
今となっては辞めたことを後悔しています
副店長に言われたある事とは、そこのホームセンターが発行しているクレジットカードを、無理やり作らせようとして言われた言葉です。
「クレジットカードの申込み用紙書いといてね~」と、作るか作らないか私の意志を確認することなく、ある日突然言ってきたのです。
私が「クレジットカードは使わないので作りたくないです」というと「えっ?? 今時カード使ってないの??」とバカにしたように言われました。そこからたたみこむように「クレジットカードないなんて不便でしょ? ガソリン入れる時とか現金で入れてるの? 今時現金で入れる人なんているんだ~」などと相変わらずバカにした口調でいろいろとまくし立ててきました。
もう返事するのも嫌になっていましたが、「私は現金派なのでカードはけっこうです」と、その時はもう辞める気持ちが固まっていたので、はっきりと断ってやりました。
あとから事務の人にこの話をしたら、「クレカ発行枚数のノルマがあるから強引に入れようとしたんだと思うよ」と教えてもらいました。うすうすノルマがあるんだろうなということは気づいていましたが、それだったら幾ら立場が上とは言え、もう少し言い方ってものがあると思います。
「あの人いい年して『北風と太陽』の法則知らないからね~。バカなヤツだと思って聞き流してやって」と事務の人は言ってくれたけど、本当にもう顔を見るのも嫌になっていたので、辞める気持ちは変わりませんでした。
結局副店長のことを嫌いになりすぎて、ムカついた勢いに任せて辞めてしまいましたが、よくよく考えるとあれは時期尚早だったと後悔しました。
ああいった複数店舗を構えているようなお店は、社員は基本的に移動があります。
ひとつのお店に何年もいるということはほとんどありません。
副店長がいなくなるまで耐えていればよかったと、後からメチャメチャ後悔しました。
仕事は順調に覚えられていたし、パートさんの中にもそんなに嫌な感じの人はいませんでした。相変わらずみんなの輪には入っていけませんでしたが、休み時間を皆が同じ時間に一斉に取る職場ではないため、1人ぼっちで休憩をとっていてもあまり浮いている感がなくて、そういった面でも居心地はよかったです。
なのに私ときたら、副店長とサービスカウンターを3週間ちょっとやらされただけで我慢の限界に達してしまうなんて、なんて忍耐力がないんだろうと、我ながら情けないです。私は我慢の器が人一倍小さくて、すぐに溢れてしまう。こんな性格だから引きニートになってしまうのでしょうね。
あの時冷静な判断ができなかったことが、本当に悔やまれます。
私みたいに頭が悪くて人間関係を気づくのが苦手な者が、あまり浮くことなくやっていける職場なんてそうそうないですから。
しかもホームセンターってけっこう安定してますよね。
コロナ不況の今でも潰れることなく営業してますもの。
この時の経験は、『覆水盆に返らず』という言葉が、切実に感じられた出来事でした。
辞めるのはいつでもできるので、辞めたあと後悔しないかをじっくり考えて行動できるよう、いつでもメンタルを強く穏やかに保っていられる人になりたです。
それでは今日はこのへんで。コノハでした。