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これぞ中高年引きこもりのリアル!『こもりびと』がリアルすぎて号泣

 

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画像出典元:NHK

 

2020年11月22日、NHK21時~22時13分の時間帯にて、『こもりびと』というドラマが放送されました。(見逃した人はNHK+で見逃し配信やっていますのでぜひ!)

 

引きこもり当事者である私にとっては非常に興味深いドラマでしたので、このドラマの感想とともに、『引きこもりになる原因』や『推定100万人とされるほど引きこもりが増えた理由』について、私なりの考察を述べていこうと思います。

 

 

引きこもりの日常がリアルに描かれている

松山ケンイチさん演じる主人公の倉田雅夫(40歳)の引きこもりっぷりが、非常にリアルでした。このままじゃマズイとわかっていながらも、社会へ踏み出す勇気や気力が持てずに、1人部屋に引きこもってしまう。

 

 親と顔を合わせるのも嫌で、時間をずらして食事をとるシーンとか、「わかるわ~!」って思いました。

 

武田鉄矢さん演じる父親のセリフも、まぁ~ありがちですよね。あの世代は売り手市場により正社員で働けるのが当たり前の時代だったので、非正規で働くことや仕事に就けないことが、必要以上に『みっともない』と感じるのでしょう。

 

ゆえに「結婚もできない仕事にも就けないなんて本当に情けない」だとか「お前みたいな奴は生きる価値なし」だとか、そんなセリフが当たり前のように出てしまうのだと思います。

 

あんな言い方をされても「なにクソ!」って感じで、怒りの感情をバネにして奮起できるタイプならいいですが、基本的にそういうタイプの人は、そもそも引きこもりにはなりません。

 

よく言えば『繊細』、悪く言えば『弱い』から、引きこもりになってしまうのだと思います。

 

息子が社会復帰という出口を見つけられないまま、父親の寿命にタイムリミットが来てしまうあたりも、8050問題ないし7040問題の当事者たちに、「もう時間はそんなに残されていないよ!」という現実を、まざまざと突きつけていました。

 

ドラマでは救急車で運ばれて間もなく父親は亡くなりましたが、現実はあのようなすぐに逝ってしまうケースばかりではありません。

 

自分の生活すら支えられない引きこもりの人が、病気や高齢により介護が必要になった親をいかにして支えていくのか。そういった部分も含めて描いてくれていたら、今後の参考として、より興味深い内容になったのではないかと思います。

 

 

中高年の引きこもりは社会に見捨てられている

妹の「役所に頼ってみたら?」の言葉をきっかけに、世間体を気にしつつも役所を訪れる父親。しかし役所では「支援は39歳まで」だと言われて、保健所を尋ねるよう勧められます。

 

その言葉を受けて保健所へ行くも、「障害者や病気持ちでないと対応できる制度がない」と、職員の人に言われてしまうのです。

 

私の母親が役所に相談に行った時も、このような感じだったそうです。真剣に耳を傾けてもらえることなく事務的に淡々とあしらわれたせいで、母親がひどく落ち込んで帰ってきたことを、昨日のことのように覚えています。

 

相談に行くにも、多くの当事者や家族は、かなり勇気をふり絞って行くと思うんですよね。下げ澄んだ目で見られるんじゃないかとか、バカにされるんじゃないかとか、いろいろな不安を抱えつつ、それでも現状を打破するべく勇気をふり絞って相談へいくわけです。

 

それなのに40歳以上はダメだとか、障害者手帳がないとダメだとか言われてしまい、「相談になんか行っても意味ないじゃん。そりゃそうだよね、引きニート野垂れ死にしようが役所の人は知ったこっちゃないもんね」と、心がやさぐれてしまうのです。

 

支援の対象は39歳まで!!

この言葉により社会に完全に見捨てられたという絶望が募り、結果ますます引きこもりがひどくなるという悪循環。

 

「精神科で障害者手帳を取得するための診断書を書いてもらって、私はもう障害者として生きていくしかないのかな。仮にうつ病が治ったとしても、治ってないふりしてずっと精神障害者として生きていくしかないのかな」と、この葛藤は私の心の中にずっと居座り続けています。

 

障害者とまではいかないけれど、社会に適応できる能力や順応性がない者たち。このようなグレーゾーンの人を救い上げる制度が今の日本には乏しく、中高年にもなると、公共機関の支援を受けるのはもはや絶望的です。このような現状が、推定60万人といわれるほどに、中高年の引きこもりを増大させてしまったのでしょう。

 

このドラマは当事者目線から見ても本当にリアリティを感じられて、話の起承転結もよかったと思いますが、ただ残念なのが、いささかストーリー展開が早すぎた点です。

 

時間や予算などの都合により仕方のないことだったとは思いますが、もう少し時間をかけて、父親とのやり取りや息子の心の葛藤や変化。そしてどのように社会復帰していくのかを、描いてほしかったです。せめて3夜連続くらいでやってほしかったな。ぜひ続編が見たいです!

 

 

なぜ引きこもりになってしまったのか?

父親が慣れないスマホを使ってなんとか息子と会話をしようとする姿にはとても心を打たれましたが、私が1番心を揺さぶられた場面は、引きこもりになった原因を、雅夫がドア越しにみさきに打ち明けるシーンです。

 

自分の居場所を失いたくなくて懸命に働いた結果うつ病となり、それ以来引きこもりになってしまった雅夫と自分が、なんだかリンクしているように思えて、見ていてとても切なかったです。

 

『働きたくないでござる』の精神で、なんの努力もせずにただダラダラしているだけの根っからのダメ人間がいることも事実でしょうけど、多くの引きこもりの人は、そうではないはずです。

 

社会に復帰することや人と関わることがどうしようもなく怖くなってしまうほど、心に何かしらのダメージを受けてしまい、本当は働きたいしこのまま引きこもっていたいわけじゃないのに、きっかけがないままズルズルと引きこもり生活が長引いてしまっている人が、大半なのではないでしょうか。

 

引きこもりを持つ家族の中には、「なぜ引きこもっているのか原因がわからない」と嘆く人も多いです。親からしたら、「何で相談してくれないの?」「何か悩んでいるなら打ち明けてほしい!」とか思っているのでしょうね。

 

でもね、自分の本当の心の内をさらけ出すって、そんなに簡単なことじゃないんですよね。そもそも親子関係が上手くいっていなければ、本当の心の内なんて打ち明けられないですし。

 

私は子供の頃からイジメにあっていたことやコンプレックス満載だったことで、人と接することが好きではありませんでした。それに加えて社会に出てからは、ADHDの気があるせいか人並にこなせない仕事があるなどして、ますます自分に自信を失っていきます。

 

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仕事に行くのが本当に辛くて、仕事からの帰り道、「いっそのこと事故にでも遭って死ねたらいいのに。そしたらもう明日からは仕事に行かなくてすむ」と、思ったこともあります。けれどその辛い気持ちを、親に告げることはしませんでした。

 

 

引きこもりの人が本当の気持ちを打ち明けられないのはなぜ?

なぜ親に気持ちを打ち明けられなかったのか。その理由をざっくりと分析すると、以下の4つの理由が挙げられます。

①イジメられていると打ち明けたところで親がなんとかしてくれるわけではないから

②親に心配をかけたくないから

③イジメられていると知られることがカッコ悪いと思っていたから

④辛い状況でも負けずに頑張っている人もいるのだから、自分もそうしなければいけないと思っていたから

 

 我が家は父親がろくでもない人間で、満足に生活費を入れることなく、家事も子育ても全て母親に丸投げでした。そのせいで母親は仕事と家事に追われて 、毎日とても忙しくしていたのです。時間に追われて毎日忙しくしている母親に、これ以上負担をかけてはいけないと、子供心にも感じていました。

 

それに加えて、理不尽な態度の父親に対して、反抗することなくただただ我慢して耐えているだけな母親の姿を間近で見ていた私には、「この人に打ち明けても我慢して頑張んなさいとか言うだけなんだろうな」という、諦めに似たような気持ちもあったんですよね。

 

そういった親子関係がずっと続いていたので、母親のことは嫌いではありませんでしが、私にとって母親の存在は、『頼りになる相談相手』ではなかったのです。

 

しかし30代になった私は、職場でのイジメをきっかけにひどいうつ病状態となり、心も体もボロボロの状態に陥ります。心も体もボロボロでもう生きる気力もなくて、母親を気遣う気持ちすら、その時は失っていました。

 

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 あの時は毎日のように死ぬことばかりを考えていて、母親に自傷行為を見られたこともあります。「なんでこんなことするの?」と涙を流す母親に、ある日私は、今まで溜めこんでいた想いをぶちまけたのです。

 

「なんであんな欠陥だらけの男の子供なんて産んだんだよ。そのせいで私がどれだけ辛い思いしてきたかあんたにわかる? あんたが本当に私のことを思ってくれるなら、今すぐ私のこと殺してよ!」と、心無い言葉を母親に投げつけました。

 

 

引きこもりとその親が分かり合うとき『真実の愛』が存在しているのだろう

私が初めて口にした、本音が詰まった言葉の数々を聞いた母親は、涙を流しながら何度も私に詫びてきました。

 

それでも「娘のこと殺せるわけないじゃない。人に会うのが嫌なら仕事なんて行かなくていいから、ただ生きていてくれればそれでいいから! お母さんあんたより長生きするから、これかも一緒に生きていこうよ!」と、力強く私に言ってきたのです。

 

あの時はなんというか、母親ならではの強さみたいなものを感じましたね。小柄で年老いた母親が、あの時は妙に大きく感じられました。母も私もたくさん泣いて、お互いに本音で話をし、今までとは親子関係が変わったと感じています。

 

これまではなんとなく惰性で親子をやっていた感じだったけれど、心に溜まったドロドロのドス黒い感情をぶちまけたことで、本当の親子になれたような、そんな気がしました。

 

偶然にも、こもりびとのドラマの中でも似たような場面があり、見ていて涙が止まらなかったです。

 

歩道橋の上で父と息子が互いの気持ちをぶつけ合う場面。あのとき父である一夫の口から出た「頼む、生きててくれ! もうそれだけでいいから!」

 

癌におかされた体で懸命に声を張り上げ、「生きててくれ!」と息子に叫ぶ父親の姿に、息子への真の愛情が感じられて、感動の涙が止めどなく溢れました。

 

お説教やありきたりな励ましの言葉なんかじゃ、生きることに絶望し、死を望む人の気持ちを変えることなんてできやしない。変えることができるとしたら、それは血の通った温かい『愛のある言葉』だけなのではないでしょうか。

 

 

【推定100万人】なぜ引きこもりがここまで増えたのか?

現在ひきこもり状態になっている人の人数は、推定100万人とされています。私の住んでいるとある地方都市は、県内でも1位・2位を争う人口が多い『市』ではありますが、その人口ですら100万人には及びません。

 

こうした事実を踏まえると、100万人がいかに大きな数字であるかが、おわかりいただけるかと思います。

 

どうしてここまで引きこもりの人数が増えてしまったのか?

ドラマ『こもりびと』の中に、その答えは潜んでいました。

 

「効率ばかり求めて優しさがなくなったこの国で、オレたちの居場所ってどこにあるんだろうね?」

 

主人公である雅夫のこの言葉に激しく共感したのは、おそらく私だけではないはずです。

 

バブルがはじけたのを機に正社員雇用が崩壊していき、リーマンショックでその状況にさらに拍車がかかります。

 

国内のみならず国際的な価格競争も年々激化し、少しでも安い値段にするため人件費を削ろうと、非正規に過剰な労働を強いる会社も増えたと聞きます。

 

負担のかかる仕事は非正規にさせて、潰れたら使い捨てにする。このような経験をされたことのある人、目にしたことのある人は、少なくないのではないでしょうか。

 

頑張って働いても正社員にはなれず報われない。ストレスが増えるばかりでお給料は増えない。このような状況に嫌気がさして引きこもりになってしまう人もいれば、心や体を壊して引きこもりになる人もいる。

 

特にリーマンショック以降は、いろんな意味で余裕のない人が増えたんじゃないかな。余裕がないから人のことまで気遣ってられず、時には余裕のなさからくるイラつきや不満を、自分よりも立場の弱い人にぶつけてウサばらし。

 

なんなら自分の失敗を上手いこと言い逃れして他人のせいにしたりと、自分を守ることに必死で、相手を思いやることをできなくなった人が増えていると感じます。

 

ライブチャットのお客様で、士業をされているかたがいるのですが、そのかたは職業柄いろいろなトラブルを見てきている人です。そのかたが以前に、「もう何十年もこの仕事やってきているけど、今は昔に比べて人情がなくなったよね。とにかくお金が優先だもんね」と、しみじみとおっしゃっていたことがあります。

 

効率を重視して血眼になって利益を上げることを追求していく。とにかく金を稼いだ者が正義! みたいな殺伐とした世の中についていけない人間は、おのずと淘汰されていき、その結果として『引きこもり』が誕生するわけです。

 

引きこもりの原因を全て社会のせいにするわけではありませんが、効率ばかりを求めて優しさがなくなったこの国を、生きづらいと感じる人がいても、なんら不思議なことではないでしょう。

 

 

引きこもりでも死ねないなら生きるしかない!

自分を守ることに必死で他人を思いやることを忘れたこの国で生き残っていくには、タフな心と体が必要です。

 

今はホワイな環境で働けている人でも、もしかしたら近い将来、ブラックな環境におかれてしまうかもしれません。そうなったとき社会や会社に潰されないために、心と体を鍛えておくことは非常に重要です。

 

そしてすでに引きこもりになってしまった人は、今からでも心と体を鍛えて、自分にできることは何かを、本気で探してみませんか。自ら命を絶つ勇気がないのなら、生きるしか道はないのですから。

 

例え世の中に絶望していたとしても、何もせずにただただ野垂れ死ぬ時を待つよりは、とにかく必死であがいてみようと、今の私は思っています。

 

たとえそれが無駄なあがきであったとしても、命が尽きるその時に、「やるだけやった。だから後悔はない!」と、胸を張って言えるように。

 

それでは今日はこのへんで。コノハでした。

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