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【感動の実話】原発を守るため過酷な状況で戦い続けた英雄達の記録

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出典元:映画.com

東日本大震災から10年目となる2021年3月12日。金曜ロードSHOWにてFukushima 50』という映画が放送されました。

 

この映画は門田隆将の著書『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発』を原作とし、事実に基づく物語となっています。

 

東北で起きた大地震による津波の影響で、メルトダウンの危機にさらされた福島第一原子力発電所。あのとき発電所内で何が起こっていたのかを、この映画では克明に描いています。

 

金曜ロードSHOWを録画しておき本日じっくりと鑑賞しましたので、今回の記事では映画のあらすじや印象に残った場面などを、ご紹介していきます。映画に興味があるかたは、よかったら読み進めてみてください。

 

 

『Fukushima 50』のあらすじ

2011年3月11日午後2時46分。マグニチュード9.0、最大震度7という大地震が起こった。大地震により太平洋湾岸に押し寄せた大津波が、福島第一原発を襲う。

 

津波に飲み込まれた福島第一原発では、全ての電源が止まってしまう。非常用ディーゼル発電機を入れて一度は電気が戻るも、しばらくすると、非常用電源も止まってしまった。

 

電源が復旧しなければ、原子炉内の水が干上がり空焚きになってしまう。そうなれば燃料が溶け出すのは時間の問題であり、溶けた燃料は格納容器を突き破り外へと流れ出て、いわゆる炉心溶融(メルトダウン)を引き起こしてしまうのだ。

 

メルトダウンが起これば放射能がまき散らされ、数え切れないほど多くの人々が被ばくしてしまう。チェルノブイリ原発事故の二の舞になるわけにはいかない。

 

メルトダウンを防ぐべく、吉田所長と当直長の伊崎を中心として、現場作業員たちは命がけの戦いに挑んでいくのであった。

 

 

『Fukushima 50』印象に残った場面①

本店とのせめぎ合い

東電・本店と、福島第一原発の所長である吉田とのせめぎ合いは、映像的な派手さはないものの、見どころの一つであったと思います。

 

ヨウ素剤についてどうするのか吉田所長が本店に質問した際、「原子力安全委員会で決められている通り、若い人は飲むように。40歳以上の人は飲まなくてもいいそうです」と答えた本店。

 

それを聞いた吉田所長は「現場に行く人間で飲む奴と飲まない奴がいるのはおかしくないか? 線量はどんどん上がってるんだよ。これ以上あがったら建屋に近づけなくなる。現場の人間体はってんだよ、はっきりしてくれよ!」と、怒鳴ります。

 

それに対して本店は「少し時間をください。安全委員会に問い合わせてみます」と答え、それを聞いた吉田所長は「そんなことも決められねぇのか本店は!」と、またもや声を荒げます。

 

こういった本店と吉田所長とのやり取りは所々に盛り込まれており、現場の人間と上層部との意識の違いを感じて、見ていて非常にもどかしかったです。

 

「総理大臣が視察に行くから対応してほしい」と本店が吉田所長に命令したとき「今そんな余裕ないから断ってほしい」と言っても受け入れてもらえず、しぶしぶ総理の対応をすることになったときは、見ていてけっこう腹が立ちました。なんでもっと現場のことを考えてあげられないのだろうと。

 

あとこう言ってはなんですが、総理も総理だなと感じました。技術者でもないのに現場に行ったところで、何かできるわけでもないし、かえって邪魔になるとは思わなかったのかな。実際映画では、ヒステリックに怒鳴り散らすだけで、あまり戦力になっていたとは思えなかったです。

 

 

『Fukushima50』印象に残った場面②

現場作業員たちの絆と使命感に涙

格納容器内の圧力があまりに大きくなると、格納容器が爆発してしまいます。それを防ぐには格納容器の中の圧力を外へ逃がしてやる必要があり、それを「ベント」といいます。圧力を逃がすと周辺地域が放射能に汚染されますが、格納容器が爆発すれば、もっと大量の放射能が拡散され、東日本全体が汚染されることになるのです。

 

ベントをした際、放出する気体はサプレッション・チェンバー内の水をくぐって外にでるため、水がフィルター替わりになり、放射線量は1000分の1になるようです。

 

福島第一原発はこのベントを行う必要性に迫られますが、ベントはまだ世界のどの国でもやったことのない、未知の作業。電源が失われているため人の手でやらなければならず、放射線で汚染された真っ暗な原子炉建屋内に突入するのは、非常に危険を伴います。

 

現場を仕切る当直長の伊崎がベントへ行くメンバーを募ったとき、最初はみな沈黙してしまいますが、伊崎が手を挙げ「誰か一緒に行ってくれる奴はいないか?」というと、「現場は俺が行く。伊崎はここに居ないとダメだよ」と、ベテラン作業員の一人がいうのです。

 

そしてもう一人のベテラン作業員も口を開きます。「そうだよ。伊崎君はここに残って指揮を取れ。現場は俺が行く」と。

 

それを聞いた他の作業員たちも「俺が行きます!」「俺も行きます!」と次々と手を上げ始めるのです。

 

この場面を見たとき、けっこうウルっときましたね。

危険な作業を部下だけに押し付けるのではなく、まず自分から手を挙げる当直長の心意気も立派だし、それに答えるように次々と手を挙げた作業員の方々も素晴らしいです。

上司と部下の絆の深さがとても尊く感じられ、感動の場面でした。

 

またベントに失敗して戻ってきた第2陣の作業員が、「すいませんでした」と涙ながらに謝り、「もう1度行かせてください」と叫ぶ姿にも、とても心を打たれました。

 

「もう1度行かせてください」なんて、なかなか言えることじゃありませんよね。何が何でもここを守るという、強い使命感をもっているからこその言葉だと思うので、そこまでの使命感を持ち命がけで仕事に取り組む姿が、とても感動的でした。

 

 

『Fukushima50』印象に残った場面③

俺たちがここにいる意味ってある?

緊迫した状況が続くなか、「俺たちがここに居る意味ってあるんですかね?」と言い出す作業員が現れます。

 

「今僕たちは何もできない状況なんです。ここに居ても仕方がない」という若い作業員に対して、「お前それでもプラントエンジニアかよ!」と怒鳴り、ここから言い合いが始まります。

 

「線量が上がって危険な状況なんですよ」

「俺たちが逃げたら誰がこの原子炉を守るんだよ」

「逃げるわけじゃないですよ。ここに居たってしょうがないからいったん撤退して作戦を立てて、また戻ってくるとか方法があるじゃないですか」

「何が起こるかわからないからここから離れられないんだろ」

「けどこんな所にいたら無駄死になんですよ」

 

このような言い合いが勃発し、一時、掴み合いの喧嘩となります。

 

このシーンにはとてもリアリティを感じられて、印象に残っています。皆が皆、強い使命感を持って命を投げ出す覚悟の人ばかりじゃないという部分が描かれたところに、人間臭さがあって真実味を感じました。

 

仕事をする1番の目的って、生きるために必要なお金を稼ぐことですよね。ゆえに命を危険にさらしてまで仕事を続けるのは違うんじゃないかと思う人がいても、何ら不思議ではありません。

 

作業員や所長や当直長のたちのこういった心の葛藤も随所で描かれており、本当にギリギリのところで戦っていたんだなと、見ていて胸が痛くなりました。

 

「けどこんな所にいたら無駄死になんですよ」

この言い方は不適切だったと思いますが、これはきっと「生きたい! まだ死にたくない!」という気持ちから思わず出てしまった、心の叫びだったのでしょう。

 

 

一人でも多くの人に見てほしい名作!

『Fukushima 50』のAmazonでのレヴュー評価は、2686件で星4.5と、非常に高評価です。(2021年3月15日時点)

私としてもとても素晴らしい作品だと感じたので、この評価には納得です。

 

架空の災害を描いたパニック映画のように、随所に派手な見どころが用意されているわけではなく、事実を淡々と描いているので、ディザスター映画ではなく、ドキュメントや群像劇に近い部類の作品です。

 

迫力ある映像が売りの、パニック映画のようなものを期待して見ると、物足りなく感じるかもしれません。

 

ですが見どころを増やすために変に脚色しなかったところが、この作品の良いところだと、私は思います。

 

お金や保身のためだけではなく、人々の暮らしや安全を守るという強い使命感を持ち仕事に臨む人が、この日本に少なくとも50人はいるのだと知りえたことは、この映画を見た大きな収穫でした。

 

そして自然の驚異を甘く見てはいけないという教訓を、今一度心に刻むきっかけとなりました。

 

 

 余震が続く危険な状況のなか、命がけでメルトダウンを防いでくださった福島第一原発の作業員の方々に、心から敬意を表します。ありがとうございました。

 

時と共に記憶は薄れてしまいますが、こうして映画として残すことで、原発の怖さや危うさ。そして最後まで建屋内に残り戦ってくださった英雄たちのことを、皆が忘れることはないでしょう。

 

対岸の火事といった感じで、原発問題も自分に火の粉が飛んでこないとなかなか真剣に向き合うことができませんが、これを機に、原発の是非について考えてみるのもいいかもしれません。

 

それでは今日はこのへんで。コノハでした。

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