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20年以上も引きこもりの私がかろうじて続いた仕事ベスト4を発表

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私は高校卒業後、専門学校に進学しました。専門学校に進学したものの、勉強についていけないし人間関係につまずくしで、1年も経たないうちに辞めてしまいました。

専門学校を卒業してからは働きに出ていた時期もありましたが、仕事や人間関係に上手く馴染めなかったり、体がついていかなかったりで、どれも長続きしませんでした。

 

その結果、もうかれこれ20年以上も引きこもりをやっています。

仕事が続かないって本当に辛いですよね。大人になると誰かと会ったとき、必ずといっていいほど仕事の話になります。

「どんな仕事してるの?」「今なにやってるの?」などと聞かれるのが嫌で、どんどん人と会わなくなり、気づけば気軽に電話したり食事に行ったりできる間柄の人が、ゼロとなっていました。

 

このブログを読んでくれている人の中には、私と似たような状況だったり、お子さんが引きこもりだったりする読者さんがいるかもしれません。

そのようなかたの今後の仕事選びの参考に少しでもなればと思い、今回は筋金入りの引きこもりである私でも続いた、仕事ベスト4について書いていきたいと思います。

 

加えて在宅ワークで稼ぐことの大変さにも触れていますので、仕事選びの参考に、ぜひ最後まで読み進めてみてください。

*目次

 

 

 

引きこもりでも続いた仕事第4位 アパレルショップの事務員

専門学校を中退し、最初に勤めたのが某有名アパレルショップです。日本にお住まいなら、大抵の人は知っている知名度の高いお店です。

ここには正社員として採用されました。

仕事内容は主に営業事務で、帳簿をつけたり伝票整理をしたり簡単なデータ入力などでした。銀行へ行ったり備品の買い出しへ行くこともありました。バックヤードでの仕事や雑用的なことも含めると、覚えることはそれなりに多かったです。

当時はまだ若くて覚えることが今よりは苦に感じなかったことと、スピードを求められることがあまりなく、マイペースで進めることができたため、半年ちょっと続きました。

クセのある嫌味な性格だったため、店長のことは好きではありませんでした。ですが私の指導係についてくれた人は気さくで話しやすい人でしたし、その他のスタッフもキツイ感じの人がいなくて比較的人間関係は楽でした。

 

初めて就いた仕事だったため、当時はここの環境が恵まれていると感じたことはなかったのですが、今となってはあそこは働きやすい環境だったんだなと、感じています。

 

ここの職場を辞めた理由は、仕事中に『てんかん発作』を起してしまったからです。

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さいわい発作を起こしたとき、事務所内には私1人だったので、誰にも見られることはありませんでした。

しかしてんかん持ちであることを隠したまま採用されたので、この先もしまた倒れたときに、隠していたことを責められるのが怖くて、適当な理由を伝えて辞めてしまいました。

ただてんかん発作のことがなかったとしても、移動の多い職場だったので、配属先が変わったり新しく来た人との折り合いが悪かったりなどの理由で、そう遠くないうちに辞めていた可能性はあると思います。

全国展開しているようなお店の場合、あちこちに店舗があるため、比較的移動は多いです。近隣店舗の応援へ入ることもありました。

 

人の入れ替わりが多いため、良くも悪くもずっと同じメンバーで働き続けるような環境ではありません。そのためへんな派閥のようなものができづらく、新人さんが入っていきやすい環境ではあると思います。

 

その反面、移動や人の出入りが激しいうえに接客もしなければならないので、ある程度のコミュニケーション能力がないと、長く続けていくのは難しいかもしれません。

 

引きこもりでも続いた仕事第3位 自動車部品工場

ここには派遣として採用されました。当時25歳くらいで、ちょうどそのころ、派遣や業務請負業の募集が増え始めた時期だったと記憶しています。

ここで最初に任された仕事は、とても簡単なものでした。手の平サイズの小さな部品に「グリス」と呼ばれる油のようなものを刷毛でぬり、部品をはめていくだけの単純作業です。

椅子に座ってもくもくと同じ作業を繰り返すだけなので、体は楽だし神経を使うこともないのですが、あまりにも単調すぎて、時間がなかなか経たないのが欠点でした。

そこのポジションを半年くらいやった後は、立ち仕事になりました。数種類の部品をはめていき、最後にドライバーでネジを締めます。

立ちっぱなしはちょっとキツかったですが、仕事自体は決して難しいわけではなく、当時はまだ若かったので、さほど苦ではありませんでした。

ただここのポジションは2人1組で行っていて、一緒に組んでいたオバサンが風変りな人だったので、その人に気を遣いながらやらなければならなず、精神的にはシンドかったです。

 

そのオバサン、機嫌が良いときと悪いときとの落差が激しく、機嫌が悪いときはやたらと不満や文句をブツブツ言ってくるような人でした。

それでもイジメというほどの嫌がらせを受けることはなかったので、辞めたいと思うことはなかったです。

工場ではチャイムと共に皆が一斉に休み時間を取るため、仲の良い人がいない私のような者は、一人ポツンと休み時間を過ごさねばならず、それは地味に辛かったです。

そこの職場では多くの人が働いていたのですが、私は皆の輪に入っていくことができず、昼食は車の中で食べていました。こういったところが引きこもり体質だよなと、我ながら情けなくなります。

工場は1人でもくもくとやるタイプの仕事が多いため、仕事内容的には自分に合っていると思いました。

しかしサービス業と違って皆が一斉に休み時間をとるため、人の輪に上手く入っていくことができない性格だと、「休み時間をどうすごすか問題」にぶち当たり、居心地の悪さを感じる可能性はあります。

最後まで私には仲良しさんができることはなかったですが、イジメというほどの嫌がらせに遭うこともなかったため、1年間続けることができました。

ここは自分から辞めたいと思ったわけではなく、派遣切りによって辞めることとなってしまいました。

 

引きこもりでも続いた仕事第2位 電子部品工場

アパレルショップの仕事を辞めて数か月後に電子部品の工場へ面接に行き、正社員として採用されました。

当時はまだ非正規雇用が拡大される少し前だったので、正社員として雇ってもらえるハードルが、今よりは若干低かったように感じます。

さらに当時は住んでいたところが市内の中心部だったため、企業やお店が通える範囲内にたくさんあったことも、幸いしていました。(今はわけあって働く所がほとんどないド田舎に住んでいます)

 

ここでの仕事は、パソコンの中に入っている基盤の検査や組付けです。パソコンの中には、このような基盤と呼ばれるものが入っています。

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この 基盤に部品をはめ込んだり、検査装置にセットして、正常に画面が表示されるかのチェックをしていました。

検査の仕事はマイペースでやれてよかったのですが、部品をはめ込んでいく仕事は流れ作業だったため、ついていくのが大変な時もありました。

流れ作業のスピードについていく大変さはありましたが、慣れればなんとかついていけるレベルで、こでの仕事も1人でもくもく系だったため、仕事内容自体は嫌いではなかったです。

だたしここの職場は、人間関係が少々面倒くさかったですね。

小さな会社だったため、良くも悪くもアットホームな雰囲気で、昼休みに1人で車で食べることが許されない雰囲気だったのです。

「ここで食べなさい」と場所を指定されたり、10分休憩の時には「お茶入れるからおいで」と言われたりして、強制的に群れの中にいなければなりませんでした。

私のことを気遣って言ってくれたのだとは思いますが、当時の私は今よりもずっとコミュニケーションが下手だったので、その気遣いを有難迷惑だと感じていました。

これといって会話が弾まない人と、無言で一緒に昼食を食べたりお茶を飲んだりしなければならないのが、私としてはかなり苦痛だったのです。

大きな工場ならば休み時間に1人でポツンとしていても、人の多さに紛れてそこまで目立つことはないでしょう。

対して小さな工場では1人ポツンとしている人は目立つため、休み時間の居心地の悪さは、小さな工場のほうが感じるのかもしれません。

 

けれど勤め始めて半年くらい経ったころ、仲の良い人が1人だけできて、そのころから少しずつ、コミュニケーションをとることへの苦痛が和らいでいきました。

その後なんとか1年半ほど続いたのですが、たった1人の仲の良い人が辞めることになってしまい、そのことがショックすぎて、仲良しさんが辞めたすぐあと、後を追うように私も辞めてしまったのです。

今思うとなんてバカげた理由で辞めたのだろうと、辞めたことを猛烈に後悔しています。

ただここの会社は私が辞めた数年後には潰れてしまったので、あのとき辞めなかったとしても、ずっと働き続けるのは不可能でした。

 

引きこもりでも続いた仕事第1位 物流センター

30代半ばのころ。当時はすでにド田舎へ引っ越していたため、家の周りに会社やお店がほとんどなく、仕事がなかなか見つからない状態でした。

そんなとき、求人雑誌で物流センターでの大量募集の記事を見つけたのです。

大量募集だったので同時期に入る人がたくさんいて心強いなと思ったことと、時間帯や働く日数の選択肢が多いことが決め手となり、そこの会社へ応募しました。

ド田舎に引っ越してからというものこれといった仕事がなく、かなり引きこもりの期間が長引いていたため、フルタイムで働くことには抵抗がありました。

 

フルタイムだと『休み時間をどうやって過ごすか問題』の対策も練らねばなりません。

電子部品工場のときのように、会話が弾まないのに一緒にいなければならない状況は、なるべく避けたいなと思っていました。

そんな訳で1日4~5時間、週に4日程度の希望で面接にのぞみました。それでもしやっていけそうなら、フルタイムに切り替えて働きたいなという気持ちでしたね。

このときは前回の仕事を辞めてからかなり期間が開いていたので、職歴がない空白期間の言い訳をいろいろと考えて、ドキドキしながら面接にのぞみました。

引きこもりが長引くと、面接で空白期間の説明をするのが難しくなり、それによってますます応募する勇気が持てなくなります。

それでも「これを逃したらもう仕事にありつけない!」と、勇気を振り絞って応募の電話をかけ、面接当日を迎えました。

 

めまいがするほど緊張してのぞんだ面接でしたが、面接は思っていたよりもあっさりしていて、私のでっち上げた空白期間の言い訳を、追求されることはありませんでした。

働ける日数や時間帯の確認、仕事内容や時給などの説明が主で、私自身について質問されることは、あまりなかったです。

 

大量募集だったため、1人の面接で時間を割いている余裕はなかったのかもしれません。こういったところも、大量募集の良さといえます。

 

そして面接の次の日、すぐに採用の連絡がきました。

こうして私は、物流センターで働くこととなったのです。

 

配属された先はピッキングと呼ばれる、商品を集めて回る部署でした。台車の上に段ボール箱を乗せ、その段ボールの中に、リストに出ている商品を集めて回る仕事です。

だだっ広いフロアにものすごい数の商品棚があり、最初は迷子になってしまうほどでした。

リストに出ている商品の点数に応じて制限時間が決まっており、その時間内に集め終わるように言われていて、仕事内容は単純ながら、時間にはかなり追われます。

ずっと歩きっぱなしで体力を使うし、棚の1番下にある商品を取るときは、床に這いつくばるようにして取らなければならず、体はけっこうキツかったです。

それでもなんとか3年以上続けていたのですが、女性ばかりが大勢集まる職場だったせいか、性格がキツイ人や意地が悪い人も多く、イジメが頻繁に起こっていました。

 

ですがド田舎にはこれといった仕事がないし、年齢的にも若いとは言えない年齢だったため、もう後がないと自分に言い聞かせ、なんとか頑張りました。

けれど結局私は、ここでも続けることができませんでした。

勤め始めて3年程経ったころから、性格がキツく意地の悪いババアたちがいるフロアに行かされる頻度が多くなり、それによりうつ病の症状が出始めたことが原因です。

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 なぜ私がそこのフロアにしょっちゅう行かされるようになったかと言えば、それは私が、「あそこで仕事するのは嫌です」と言えなかったからです。

社員さんと気軽に話ができるような人達は、「えぇ~あそこ〇〇さん達がいるから行くのヤダ~」などと言って、行くのを拒否していました。

その結果、性格がキツく意地の悪いババアたちがいるフロアには、私を含め、社員さんに嫌だと言えない大人しい人ばかりが集まっていました。

「大人しい人が集まる➡ますますつけ上がって威張る➡人が辞める」といった負のスパイラルをそこのフロアでは繰り返していて、その負のスパイラルに、私も巻き込まれてしまったのです。

コミュニケーション能力が人並にあり、私も社員さんに「〇〇さんたちがいるから行くの嫌なんですけど」などと言えていたら、今でもあの会社で働けていたかもしれません。

うつ病になったり、睡眠障害が悪化したりすることもなかったかもしれません。そう思うと今でも胸が痛くなり、涙がでることもあります。

年齢やこれまでの職歴を考えると、条件の整った会社に雇ってもらえるのはこれが最後だと思っていたので、続けられなかった悔しさは、今までの比ではありませんでしたね。

面接の時に思っていた「やっていけそうだったらフルタイムで働きたい!」という願いが成就されることはなく、勤め始めて4年が過ぎたころ、私はこの職場を去ることとなりました。

 

コミュ障や発達障害の人には工場の仕事を推奨

ここに書いたベスト4は続いた仕事であって、この他にも幾つもの職場を転々としました。けれどどこもそう長くは続かず、ひどい時には1日で辞めた所もあります。

そんなこれまでの仕事経験から言えることは、私の場合は仕事内容というより、人間関係に挫折して辞めていることが多いです。私は発達障害グレーゾーンの人間なので、仕事自体の能力が低いことも否めませんが……。

コンプレックス満載で長年イジメにあってきたからなのか、自分の言いたいことや気持ちを上手く相手に伝えることができず、そのせいでだいぶ損をしてきたとも思います。

 

感受性が強いので、キツイ言い方をされたり無視されたりすると、人一倍悩んだり落ち込んだりしてしまう性格も、仕事が続かない大きな要因だったと感じます。

もっと鈍感だったなら、ここまで筋金入りの引きこもりになることはなかったのかもしれません。

 

そしてこれまでの仕事経験を通していえることは、私には工場の仕事があっていたということです。人とあまり接することなく1人でもくもくとやれて、かつ工程がしっかりと分かれているため、覚えることがそこまで多くありません。

発達障害グレーゾーンの私にとってマルチタスクは難易度が高いので、決められたことをもくもくとやり、臨機応変さをあまり求められない仕事が向いているのだと思います。

うつ病が少し回復したころ、求人雑誌でたまたま良さそうな工場での募集を見つけ、面接に行ったことがあるのですが、やはり落とされました。

うつ病が完治していないことも落とされた原因だったと思いますが、年齢的なことも落とされた要因として、大きかったように思います。

もう私なんかを雇ってくれるまともな会社はないと諦め、今は在宅ワークでわずかばかりの収入を得ています。

 

在宅ワークで稼ぐのは難しい

WebライターやプログラマーやWebデザイナーなど、在宅ワークでも生活に支障がないレベルの収入を得ている人はいます。

ですが私の体感としては、在宅ワークでそこまでの金額を安定して稼ぎ続けるのは、非常に困難だと感じます。

 

在宅ワークで月に50万円やそれ以上稼いでいるかたのブログを読んだり、Twitterを見たりしていますが、稼いでいる人ってそもそも能力が高めなんですよね。

良い大学を出ている人や大手企業に勤めていた人とか、国家資格が必要な専門職についていた人とか、優秀な人ばかりなのです。優秀な人は会社勤めしてもフリーランスになっても、どちらにせよ稼げるのでしょう。

そういった人たちと比べて何もない私は、このまま在宅ワークを続けたところでおこずかい程度しか稼げないのではないかと、将来に対する不安は常につきまとっています。

 

それでも今の私には他に選択肢がないし、不安に駆られてメソメソしているだけではますます将来に暗雲が立ち込めてしまうので、私なりにできることを精一杯やっていくしかありません。

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できることなら会社勤めを推奨します

仕事を獲得するところから始めて、単価交渉やトラブルがあったときの対処、確定申告など、全てを自分1人でやらなければならないので、フリーランスでやっていくのは本当に大変です。

在宅ワークのプラットホームであるクラウドソーシングにおいて、月に20万円以上稼いでいる人は上位10%ほどしかいないとも言われており、こういった数字も、フリーランスがいかに大変であるかを物語っています。

そして20万円稼いだとしても、そこから税金やら国民年金やら国保やらを支払うと、手元に残るお金は15万円を切りますから、普通のサラリーマン並みの生活を送ろうと思ったら、最低でも月30万円は稼がなければなりません。

私はWebライターとブロガーをやっていますが、それらの仕事で月30万円を安定して稼ぎ続けている人なんて、本当に一握りの人だけですよ。

そのうえAIの発達にともない、今後AIで文章を作るサイトが増えれば、Webライターの仕事は激減するでしょうから、将来の不安は本当に大きいです。

 

それに比べてサラリーマンなら、真面目に何年か勤めていれば、手取り20万円はそこまで難しくないですよね。私の弟は高卒ですが、20代後半くらいからは、手取りで20万円を稼げるようになっています。

数年前からは定年退職した母親を扶養に入れているので、そのおかげで母親は高い国保を払わなくて済んでいますし、毎年会社の負担で健康診断も受けさせてもらっています。こういったメリットも、会社員ならではといえるでしょう。

人それぞれに向き不向きがあるので、一概に会社員が良いとは言い切れませんが、凡人が手取りで20万円稼ぐハードルは、フリーランスのほうが明らかに高いと感じます。

ですからこれといって秀でるものがなく平凡な人であれば、できることなら会社勤めを推奨します。

厚生年金がかけられるので老後の安心感がありますし、有休があるのも大きいと思います。社保には傷病手当があるので、大きなケガや病気をして長期で仕事を休んでも、収入ゼロにはなりません。

フリーランスには有休も傷病手当もないので、体調を崩して仕事ができなければ無収入となり、そういった怖さとも常に隣り合わせです。

私のように年齢が上がってしまうと、条件の良いところはバイトやパートですら落とされてしまうので、親がまだ元気だからといって、のんびり構えているのは危険です。私は長いこと引きこもってしまったことを、心の底から後悔しています。

 

自分1人で社会復帰への道を探すのが難しいならば、就労移行支援の事業所を利用してみるのもひとつの方法です。ここの団体はこれまで6,000名以上の就職をサポートしてきた実績ある事業所で、さまざなサポートを行ってくれます。


 引きこもりから脱出して働けるようになれば、普通に恋愛して結婚だってできるかもしれません。

結婚や子供を設けることが人生の全てではないけれど、できれば愛する人を見つけて、自分の家族を作れたほうが、人生の楽しみは広がるように思います。

若いころからずっと引きこもっていたので、私には恋人どころか友達もいないし、楽しい思い出が何もありません。それって想像以上に辛いですよ。

失った時間は戻ってこないし、いつまでも若さが続くわけではありません。老いてからあがくよりも、若いうちのほうが断然、社会復帰への道は明るいです。

 

私のように後悔することのないよう、今を大切に、どうかベストを尽くしてください。

 

それでは今日はこのへんで。コノハでした。

 

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